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セクション2 佐渡金山とトキ 2.1 世界遺産「佐渡の金山」の要点 

 

トキと金山。一見、何の関係もなさそうですよね。
でも実は、佐渡金山がなければ、トキは佐渡で生き残れなかったんです。
今回は、予備知識として、世界遺産「佐渡の金山」の要点をお話します。

◆2024年、世界文化遺産に
2024年7月27日、「佐渡島の金山」が世界文化遺産に登録されました。
取り組み開始は1997年。地元民間団体の活動から始まり、27年かかりました。
2010年にユネスコ世界遺産暫定リストに記載されてから、14年。長い道のりでした。

佐渡の金産出に関しては、平安時代からあったようですが、文章に記述があるだけです。
世界遺産の基準では、根拠となる施設(不動産)が現存し、保存されていることが必要なので、世界遺産で認定されているのは、根拠がある江戸時代の初めからを認定しています。

そして、金山閉山の平成元年(1989年)まで採掘はされていましたが、次に示すように、鎖国して外国の技術がない独自の技術の高さが評価されたので、世界遺産としては「江戸時代」に限定されています。

◆なぜ世界遺産になれたのか
評価基準はⅳ「人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関する優れた見本であること」
佐渡の金山は、世界の他の地域で採鉱が機械化された時代に、高度な手工業による採鉱と精錬技術を継続した、アジアにおいて他に類を見ない事例、ということで世界遺産に登録されました。

◆佐渡金山の歴史
西三川砂金山は平安時代から。
採掘技術は「大流し」。川の砂金を採取していました。

山を掘って探す鶴子銀山は1542年に発見。山師が見つけました。
これが相川金銀山のきっかけになります。
相川金銀山は1596年から1989年(平成元年)まで、約400年間稼働しました。
1596年:鉱脈発見
1601年:徳川幕府の天領地になり、1603年に相川奉行所ができて、金山での採掘、選鉱、製錬・精錬、小判製造までをオールインワンで行っていました
江戸時代最盛期の金産出量:年間451.59kg
世界最高と言われるぐらいでした。

◆世界最高レベルの技術
佐渡では採鉱から小判の製造まで、一連の工程がすべて行われました。
当時、日本は鎖国をしていましたから、西洋の産業革命とは関わらず、独自の方法で工夫改善しながら、世界トップレベルの産出量を誇ったのです。
また、作られた小判は、オランダなどとの交易でも使われました。
<技術の一例>
焼金法(やききんほう):塩と炭で燃やすと、金と塩化銀に分かれる。純度が上がります。
水上輪(すいじょうりん):水を下から上へもっていく技術。釣瓶、桶なども使いました。

◆相川—ゴールドラッシュの大都市
佐渡の相川は、江戸時代初期に佐渡金山が本格的に開発され、「ゴールドラッシュ」に沸き立ちました。
全国各地から鉱山技術者、商人、労働者が集まり、一寒村だった場所が人口約5万人の大都市へと急成長したのです。
これは、当時の首都であった江戸に次ぐ人口規模であり、相川が日本有数の鉱山都市として繁栄していたことを示しています。
・江戸初期の日本の人口:約1000万人
・江戸の人口:約100万人
相川の人口:約5万人

◆佐渡金山の文化的景観
金山関連の文化財は多岐にわたります。
・鉱業施設(採鉱、選鉱、精錬)
・鉱山管理施設(佐渡奉行所など)
・鉱山にかかる集落・町
・宗教施設(神社や寺院)
・港湾、道路(「金の道」)
そして、2つの重要文化景観が選定されています。
 佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観
 佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観

世界遺産「佐渡の金山」で知っておくべき要点をお伝えしました。
トキが佐渡で生き残っていったのは、江戸時代になって、佐渡がゴールドラッシュに沸いたことでもたらされた変化が要因だったと考えられています

次回は、佐渡がトキにとって住みやすい環境になっていったのは佐渡金山がきっかけだったのではないか説をお話しします。

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TAKASUN-SADO

2025年5月より佐渡に帰郷。空き家になった実家に戻り、ほそぼそ。 ランニング、書道、良い酒と良い時間、コンテンツ作り。

  1. 2.2 佐渡金山がきっかけとなったトキ繁殖の環境

  2. セクション2 佐渡金山とトキ 2.1 世界遺産「佐渡の金山」の要点 

  3.  3.2 世界農業遺産(GIAHS)「トキと共生する佐渡の里山」

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