前回、トキのかわいい姿や生態についてお話ししました。
今回は、トキがたどった厳しい道のりについて、お話しします。
◆かつては日本中にいたトキ
江戸時代、トキは日本各地にいました。
千葉県の手賀沼、茨城県、埼玉県…。
加賀藩は滋賀県から100羽のトキを富山に放鳥したり、徳島藩も兵庫県からトキを取り寄せて放鳥したりしていました。トキの羽は矢羽根に使われていました。
そして、肉も食べられていました。
江戸時代の「本朝食鑑」には「生臭いものの味は良く、女性の冷え性や産後の滋養効果がある」と書かれていたそうです。
◆乱獲と絶滅への道
明治28年(1895年)、「狩猟法」が公布されました。
でも、この時点ではトキは保護対象ではありませんでした。
明治41年(1908年)、ようやくトキが保護対象に。
でも、遅かった。
大正14年(1925年)、「新潟県天産誌」に「濫獲のため〜其跡を絶てり(絶滅した)」と記録されました。
◆佐渡での発見、そして減っていくトキ
大正15年(1926年)、川口孫治郎の調査で、佐渡にトキが生存していることがわかりました。
昭和6年(1931年)、鳥類学者が佐渡でトキ2羽を発見。生椿では27羽の群れが目撃されました。
なぜ、佐渡にトキが残っていたんでしょうか?
これは別の機会にお伝えします。
昭和9年(1934年)、トキは天然記念物に指定されます。
昭和27年(1952年)、特別天然記念物に。
昭和35年(1960年)、国際保護鳥に選定されました。
50年代後半にはトキの数は激減していました。
昭和42年(1967年)、佐渡に、新潟県立トキ保護センターが設置されます。
翌、昭和43年(1968年)に、佐渡の北部にある黒滝山にトキの巣があるということで、NHKがヘリコプターで取材したところ、それが恐らくきっかけで、その巣をトキは捨ててしまいました。
トキの生態も分からず、トキを守ることの方法も手探りだったため、こうした失敗もありました。
◆野生では絶滅を待つばかり・・
このまま野生に置いてもどんどん減っていく。
そこで佐渡のトキを捕らえ、集め、繁殖させたいと考えました。
ところが鳥ですからなかなか捕まらない。
そんな時、宇治金太郎さんという方が、毎日トキに餌をあげていました。
警戒心が強いトキですが、金太郎さんにはなついていました。
メスのトキで、金太郎さんは「トキ子」と呼んでいました。

役所の人たちは、金太郎さんに捕まえてほしいとお願いしました。
でも、金太郎さんは断ります。
自分が餌を与え、トキ子が食べるのは、そこに信頼関係があるから。
餌で近寄らせ捕まえるなんて、自分を信じてくれるトキ子に申し訳ない。
そんな理由で断ります。
でも、役所の方もトキを守るため、野生のままではだめだと説得しました。
そして、金太郎さんは、無念を感じながら、トキ子を近寄らせ、抱きしめました。
しかし金太郎さんが離さず、捕まえるとわかったのか、悲しそうに鳴いたそうです。
その声を忘れられない、と金太郎さんは後にお話しされたそうです。
そして名前を金太郎さんからとって、「キン」と名付けられたそうです。
この捕獲が昭和43年(1968年)でした。
◆すべてのトキを捕獲=野生絶滅
昭和56年(1981年)1月、ついに佐渡で最後の5羽を全鳥捕獲しました。ロケットネットを使って。
雌「アオ」「アカ」「キイロ」「シロ」、雄「ミドリ」。
この瞬間、野生にトキは生活しなくなりました。「野生絶滅」です。
◆人工繁殖の取組と挫折
人工繁殖の試みが始まります。でも…
昭和58年(1983年):「シロ」死亡
昭和61年(1986年):「アオ」死亡
中国から雄「ホアホア」を借りて「キン」とペアリングしましたが、繁殖には至らず。
平成7年(1995年)4月、最後の希望だった雄「ミドリ」が急死。産卵後でしたが、卵はふ化しませんでした。
この時、日本産トキの繁殖は不可能になりました。
◆ 日本初のトキ人工繁殖成功
中国も、日本より先んじること1964年に、最後の1羽を捕獲し、野生絶滅となっていました。
でも、奇跡が起きます。
昭和56年(1981年)、日本が1月に5羽全鳥捕獲、野生絶滅の半年後、7月に中国の陝西(せんせい)省洋県で7羽のトキが再発見されたんです。
そして、平成11年(1999年)1月、中国から「ヨウヨウ(友友・オス)」と「ヤンヤン(洋洋・メス)」のつがいが日本に贈られました。

そして5月、佐渡トキ保護センターで「ユウユウ(優優)」が誕生。
日本で初めての人工繁殖成功でした。
ちょっと感想を言うと、オスのヨウヨウを洋洋のように読みたくなるけど、メスのヤンヤンの方が「洋洋」でややこしっ!って感じですw
◆最後の日本産トキ「キン」
平成15年(2003年)10月10日、日本野生生まれ最後のトキ「キン」が亡くなりました。
あの宇治金太郎さんが大事にしていた「トキ子」ことキンちゃんです。
36歳でした。
野生復帰センターのケージ内で飛び立ち、目が見えなかったせいでケージに衝突したと考えられています。
トキは鳥でしかありませんが、金太郎さんの話を知っていると、どこか人間っぽく感じられます。
目は見えなくなったけど、在りし日のように空を飛ぼうと思った、その夢のような瞬間を思った…鳥だからそんなわけないけど、そんなふうにも考えてしまうのは、私だけでしょうか?
ちなみに、キンが亡くなったことで、日本由来の「トキウモウダニ」も絶滅しました。
羽の汚れを食べるダニです。
中国のトキには「トキエンバンウモウダニ」だけが寄生してますが、日本のトキには「トキエンバンウモウダニ」と「トキウモウダニ」の2種類が寄生してました。
つまり、キンが亡くなることで、「トキウモウダニ」も絶滅したのです。
なぜ、ダニの話をするかというと、1つの種が絶滅することで、そこに関連する生物などがなくなっていくという「多様性の喪失」が起きるということなんです。
トキのことは、トキだけの問題ではないんですね。
ちなみに、キンの36歳が2025年現在の日本最高齢記録です。
2025年現在の日本最高齢トキは、前述した「ヨウヨウ(友友・オス)」が生き続けていて29歳で、日本では一番年長です。
◆野生復帰への準備
平成19年(2007年)、トキ野生復帰ステーションが開所しました。
ここで順化訓練が行われます。
順化ゲージの中で、3か月かけて、トキは4つの能力を身につけます。
・餌をとる
・飛翔力をつける
・群れ行動
・人への慣れ
幅50m、長さ80m、高さ15mの巨大なケージの中に、佐渡の棚田を模した池が9枚。
ミミズ、バッタ、カエルなどの餌が生息し、ドジョウも池に給餌されます。
ゲージの中で、わざと人が入り、田んぼの作業をして、人に慣れさせます。
◆ 「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」
そして同じ年2007年、もう一つ重要なことが始まります。
「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」です。
トキを野生に返しても、トキが生きていける環境がなければいけません。
トキが暮らせる環境を作らなければ。
でも、トキだけのために環境があるのでもない。
なぜトキを増やそうとしているのでしょうか。
トキが暮らせるということと、人間が生きるということは、どんなふうな関係があるのか。
この制度については、後のセクションで詳しくお話しします。
◆ついに放鳥
中国では平成19年(2007年)に、野生復帰へ向けて放鳥が行われました。
その1年後、日本でも、平成20年(2008年)9月、第1回トキが放鳥されました。

10羽(オス5、メス5)。
でも、メスが全部本州に行ってしまったんです。ハプニングでした。
ともあれ、平成24年(2012年)、放鳥トキから初めてヒナが誕生したことが確認されました。
36年ぶりの、野生でのヒナの誕生です。
そして、平成30年(2018年)、野生生まれのトキの数が、放鳥トキの数を超えました。
2024年12月時点で、推定576羽。
放鳥トキ:133羽
野生生まれ:推定443羽(足環あり175羽、足環なし推定268羽)
◆ トキを増やすためには?
1950年後半から激減して、1968年からトキを捕獲し、保護センターで育てようとしました。
オスとメスがいれば増えるだろうと思った。
結局、そのやり方ではだめでした。
そこで、平成19年(2007年)、トキ野生復帰ステーションで順化訓練をしました。
要は、人間から与えられるのでなく、トキ自身が自分で育ち、生きていく力を自然の中で身に付けていくようにしたのです。
そして、昔はトキのために田や川にドジョウを放流していましたが、やめました。
そうではなく、「朱鷺と暮らす郷」の取組のように、トキのえさの、ドジョウやミミズが自然に増える環境を、佐渡の中でも作っていったのです。
そうすることで、放鳥した後も、トキは自分で自然の中で生きていけるようになりました。
つまり、トキを増やすためには、
トキを頂点とした自然の生態系を多種多様に増やしていく
ことが一番効果があるとわかったのです。
次回は「広がるトキの野生定着」。現在のトキの状況と、これからの展望についてお話しします。
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